トランスジェンダー、ノンバイナリー、在日朝鮮人、入管被収容者、非正規滞在者、障害者、セックスワーカー、野宿者、女性、周縁化された様々な人々への、暴力と差別をやめろ!

在日朝鮮人差別って何?

 日本には「在日朝鮮人」と呼ばれる人々が住んでいます。在日朝鮮人が自分が日本人ではないことを明かすと、「いつ日本に来たんですか?」「日本語がお上手ですね!」などと悪意なく言われることがあります。確かに名前だけを見ると、韓国から最近日本に来た人のように見えるかもしれません。しかし、在日朝鮮人のほとんどは日本で生まれ育ち、日本語を使ってすでに何世代も暮らしてきた人々です。その歴史は日本の政府と社会による差別の歴史でもあり、日本人がそれを知らずにいられるということ自体が差別の表れの一つに他なりません。
 ここで「在日朝鮮人」というのは、主に過去の植民地支配の影響で朝鮮半島から日本列島に移住してきた人々とその子孫を指します。日本は19世紀後半以降、近代国家となる過程で周辺地域への拡大を図りました。アイヌの生活圏を北海道として、琉球王国を沖縄県として領土に組み入れ、日清戦争によって台湾を清国から奪い植民地にしました。当時の朝鮮王朝に対しても軍事力を背景に圧力を強め、1910年には朝鮮半島を強制的に日本に併合しました。この朝鮮に対する植民地支配は1945年の日本の敗戦による解放まで35年間続きました。
 この日本による植民地支配下で、朝鮮半島の人々は一方的に「大日本帝国臣民」とされ、日本語や日本風の氏名を強制されるなど日本人への同化を迫られました。しかし同時に、朝鮮人は日本人より一段低い存在とみなされ、国策によって土地や物資を奪われていきました。内地の米価調整のために無理な輸出をさせられて朝鮮で食糧難が起きたり、労働力不足を補うために国家ぐるみの詐欺や暴力で人が連れ去られたりしました。戦争中には朝鮮の女性たちが集められ「慰安婦」として日本軍兵士の性暴力を受けたこともありました。朝鮮人の労働者や「慰安婦」たちは危険な労働現場や戦地で酷使、虐待され、直接殺害された例も少なくありませんでした。
 日本はこのように朝鮮を利用し収奪したあげく、敗戦によって植民地を失うと、今度は植民地の人々が持っていた日本国籍を一方的に剥奪して「外国人」としました。植民地支配期には朝鮮から多くの人々が内地に移動し、敗戦時点で200万人を超える朝鮮人が現在の日本領土内に住んでいたとされます。この人々は日本国籍剥奪により、外国人として強制退去の対象にもなりうる不安定な立場に置かれることになりました。戦後の短期間にそのうちのかなりの人々は帰郷を選びましたが、続いて発生した朝鮮戦争などの影響もあり、60万人前後の人々は日本に残って生活の基盤を築いていきました。
 当時、この人々は国籍を持たず、旧植民地の地域名である「朝鮮」籍のまま「外国人」とみなされるという状況でした。その後、1965年に日本と韓国が日韓基本条約を結ぶと、韓国国籍の取得を条件に「協定永住」という在留資格が与えられることになりました。これを機に韓国国籍を取得した在日朝鮮人も多数いましたが、いろいろな理由で取得しない人もいました。さらに1991年、再び旧植民地出身者の在留資格が改定され、「特別永住」という資格が作られました。これによって植民地朝鮮にルーツを持つ在日朝鮮人は、朝鮮籍、韓国籍ともに期間や活動の制限のない比較的安定した在留資格を持つようになりました。
 現在の日本で「在日朝鮮人」を名乗る人は多くがこの特別永住者にあたります。ただし植民地朝鮮にルーツを持つ人の中でも、日本国籍を取得した人、日本国籍者やその他の国籍の人との間に生まれて多重国籍になっている人など、法的な立場は多様化しています。「在日朝鮮人」という言葉は単に法律や在留資格上の分類ではなく、それぞれの当事者がルーツやアイデンティティへのそれぞれの思いを込めて使っている言葉だといえます。
 特別永住資格があっても「外国人」である在日朝鮮人には、日本国籍者と同等の権利が保障されているわけではありません。現在の在日朝鮮人はすでに三世、四世、五世と代を重ね、地域に根を下ろした生活をしていますが、地方議会でも選挙権・被選挙権はなく、自治体によっては住民投票もできません。国家公務員の採用試験には日本国籍を条件とする国籍条項があるため、受験資格がありません。地方公務員については国籍条項をなくす自治体も現れていますが、まだ多くの地域や職種で制限が残っています。
 日本の国籍法は出生地ではなく血統に基づくため、日本で生まれても自動的に日本国籍を得ることはできません。かつて日本国籍を一方的に押し付けられ、一方的に奪われた人々の子孫が、何世代にもわたって権利を制限されながら日本で暮らしています。
 不安定な法的立場と日本社会の根強い差別の中で、しかし在日朝鮮人たちは独自の文化や民族コミュニティを発展させてきました。その中の代表的なものが、朝鮮解放後まもなく各地に作られた朝鮮人のための学校や教室です。そこでは植民地時代に抑圧された朝鮮の言語や文化が教えられました。しかしGHQと日本政府はそれを支援するどころか、1948年に「朝鮮人学校閉鎖令」を発して弾圧を加えました。その後も独自の民族教育を行う学校は、日本の学校のような公的援助を受けられず、卒業しても正規の資格と認められないといった状況が続きました。
 現在問題になっているのは、2010年に日本政府が実施した高校無償化制度(国内の高校に通うすべての生徒に公立高校の学費相当の就学支援金を支給する制度)から朝鮮学校が不当な理由で排除されたことです。この制度の検討が始まった時には、日本の高校と同等のカリキュラムをもつ朝鮮学校は当然対象になると考えられていました。しかしその後、朝鮮民主主義人民共和国との間の拉致問題を理由に支給すべきではないという意見が政府内で出され、朝鮮学校は特別に除外されてしまいました。また最近では、幼稚園、保育園等の費用を国が補助する幼保無償化制度からも朝鮮幼稚園が排除されています。
 当然のことながら、朝鮮学校に通う子どもたちが拉致問題に直接関与したことはなく、影響を与えられる立場にもありません。それにもかかわらず外交問題を理由に個々の生徒に不利益を与えたのは差別であり、国連の人種差別撤廃委員会においても、子どもの教育の機会均等に反すると批判を受けています。また、国ではなく地方自治体のレベルでは朝鮮学校に対しある程度の補助を行ってきた地域がありますが、そうした地方自治体も近年補助金を廃止したり減額したりするところが相次いでいます。朝鮮学校に対するこうした排除、攻撃の動きは、日本の政府と民衆が相互に影響しながら差別を生産し続けている代表的な事例といえます。
 さらに現在の日本社会では、このように不利な立場に置かれ続けてきた在日朝鮮人が逆に「特権」を持っているという誤った認識に基づくヘイトスピーチ、ヘイトクライムが繰り返し起きています。2000年代以降、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などの排外主義団体が複数作られ、在日朝鮮人の集住地区などを攻撃する事件が目立つようになりました。京都でも2009年に、当時京都市南区にあった京都朝鮮第一初級学校を在特会等のメンバーが襲撃し、暴言をあびせ暴力をふるう事件が起きました。また2021年8月にも、差別感情を抱いた日本人の若者が宇治市にある在日朝鮮人の集住地区ウトロに放火するという事件が起きています。この人物はそれまで在日朝鮮人との直接の接点はなく、インターネット上の情報から一方的に敵意をつのらせたとのことです。
 しかし現在インターネット上などで「在日特権」と語られているものは事実無根か、事実の一部を大きく歪めたものです。日本に暮らす在日朝鮮人は日本人と同じように税金を納めており、それにもかかわらず日本人と同等の社会保障を受けられていない場合があります。たとえば在日朝鮮人の生活保護受給率が高いことが「特権」であると語られたりしますが、それは1982年まで国民年金に国籍条項があり、在日朝鮮人は加入できなかったのが理由の一つです。年金に加入できなかったために多くの高齢者や障害者が無年金となって生活に困り、生活保護を利用することになりました。その生活保護も在日朝鮮人には初めから保障されていたものではなく、生活困窮問題に心を痛めた在日朝鮮人コミュニティや支援者の働きかけによって獲得されたものです。事実として、現在の日本の法制度上、在日朝鮮人が日本人以上の「特権」を持つことはありえません。
 逆に、在日朝鮮人の多くは根強く残る社会的差別によっていまだにさまざまな不利益を受け続けています。日本人ではないとわかると口実を作って排除するような就職差別、入居差別、結婚差別等は決してなくなっていません。こうした民間での私的な差別も、在日朝鮮人が困窮に陥ったり、困窮から抜け出しにくくなったりする大きな要因の一つです。在日朝鮮人が日本風の通名を使っていることを「特権」などと言う人もいますが、通名は差別を避けるために使われている面が強く、特権どころか本名を名乗るだけでリスクになる日本社会の差別の象徴というべきものです。
 放火事件の後、ウトロ地区の住民の中には、「その子も人生でしんどい思いをしていたのかもしれない」と放火犯の心情を理解しようとする人もいました。確かにヘイトスピーチやヘイトクライムを行う個人は、その人自身も弱い立場に置かれていることがあります。今年からちょうど100年前の1923年に起きた関東大震災では、被災した民衆が「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマに踊らされ、多数の朝鮮人を襲撃、虐殺しました。その加害者も多くは不安に駆られた弱い人々だったかもしれません。しかし加害は決して許されることではなく、より弱い者への暴力で社会の問題を解決することはできません。このような事件の再現を防ぎ、弱者を作り出し争わせる社会構造そのものを変えていくために、まず一人一人が差別の事実を知り、伝えていく必要があります。

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