公共スペースを男女別に区切ることに関して一言
トランス女性の女性専用スペース利用の問題はTwitter上でのトランス女性への差別言説の文脈で盛んに語られ、当事者の置かれた状況を無視する形でためにする議論の材料とされているのが現状である。そのため、そもそも公共スペースを性別で区切ることの意味についての議論が置き去りにされている感がある。私から一言この問題について語りたい。
トランス女性の女性専用スペース利用に関連して、銭湯や温泉の女湯をトランス女性が利用できるのかがよく話題にされる。結論から言うと、トランス女性はシス女性と同様に女性専用スペースを利用する権利があるわけで、したがってすべてのトランス女性に女湯に入る権利があるわけだが、トラブルへの懸念で利用できない当事者が多い。そのことを前提とした上で、私はそもそも銭湯や女湯を性別分けすることの必要性について考えたい。
現行の銭湯や温泉を男女別にしているのは、同性同士なら全裸の状態でも場を共有できるという考え方が前提である。要は同性同士では性加害は起きないというのが暗黙の了解となっている。このこと自体がまずまったくの誤りで、同性同士の性的な欲望を不可視化するものである。また、性的な関係性にならずとも、他人に自分の全裸を見せることに何ら抵抗を各人が抱かないというのも本当か疑問である。私は全裸で街中を歩くことの出来ない現状の日本社会の規範自体が問われるべきと考えているが、同時に他人に自分の裸を見せたくないなら見せないという権利もあると考えている。したがって、本当に性被害に遭わないように、かつ自分のプライバシーを保障された形で湯船につかれる環境を作ろうと思えば、すべて個室の銭湯ないし温泉にしてしまうか、海水浴と同じように水着を着て湯船につかるようにするべきである。そうなれば、そもそも男女別で銭湯や温泉を分ける必要性はなくなるはずである。このようなことこそがトランスジェンダーの問題をきっかけにきちんと議論されるべきなのである。
文責:上田雅子